花屋 はな輔

母の日は約100年も前からあったんです!

2018.5.10

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母の日は、日頃の苦労を敬い、感謝の気持ちを表す日であり、カーネーションを贈るのが一般的です。 ではなぜ5月の第2日曜が母の日となったのでしょうか。 また、カーネーションを贈るようになったのはどんな理由からなのでしょうか。 誰もが知っている母の日がどのように生まれたのか、ちょっと調べてみました。
日本の母の日はアメリカから伝わった
母の日は世界各国にあり由来もさまざまですが、日本の母の日はアメリカから伝わった風習です。
1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」が母の死をきっかけに、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりとされています。
この働きかけがアメリカ全土に広まり、1914年には当時の大統領「ウィルソン」が、5月の第二日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日となりました。
また、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを追悼式の祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを飾るようになり、現在のように「母の日にはカーネーションを贈る」習慣が生まれたと言われています。
一人の少女の行動が国民の祝日にまで広がるなんてすごいですよね。

 

母を思う大切な気持ちがきっかけ
アンナの母であるアン・ジャービスは牧師の夫を早くに亡くし、戦争や病気で8人の子供を失いながらも残った二人の娘を女で一人で育て上げた強い母であり、社会活動家でもありました。
その活動は病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動。
南北戦争時には中立を宣言するとともに、南北双方の兵士を看病したり、双方の敵意をなくそうと試みたイベントに南北双方の兵士や地域の人々を招くなどし大成功を収めるなど、女性の地位がまだ低かった当時のアメリカで社会改革にも貢献しました。
さらに敬虔なクリスチャンで日曜学校の牧師を26年間も務めていたそうです。
このような経歴を持つアン・ジャービスだからこそ、追悼式でのアンナの行為が社会的にも注目を集めたのでしょうね。

母の日のはじまりはアンナが母を大切に想う気持ちから生まれたといっても過言ではないようですね。

 

 

また、カーネーションの花言葉が「母の愛」、「純粋な愛」と母性愛を象徴するものだったことも影響しているのではないでしょうか。

日本では3月だった母の日
日本で最初に母の日が行われたのは、明治時代末期と言われています。
それが大正時代になるとキリスト教会や日曜学校で徐々に広がっていき、昭和に入ると大日本連合婦人会が結成されたのをきっかけに、皇后の誕生日の3月6日を母の日と定めました。
この頃の日本の母の日は、今のように5月ではなかったんですね。

 

 

当時の母の日はそれほど国民には普及していませんでしたが、1973年(昭和12年)お菓子メーカーである森永製菓が「森永母の日大会」と称して大々的な告知行い広めたことで全国的に認知され、母の日は各地に広まっていきました。
また、1949年ごろからはアメリカの例にならって5月の第2日曜日に行われるようになり、これが一般的となりました。

もっと古くからある母の日のイメージですが、実際に日本へ伝わったのは最近のことなんですね。

アンナ・ジャービスの思いを大切に、母親への感謝の気持ちを忘れずにいたいですね。

 

花屋はな輔

熊本市中央区出水8-15-27

096-277-1387

 

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